大好きな人のこと

とりあえず、書きたいから、とにかく書こう、ということで。
以下、「ですますだである」調もめちゃくちゃで、支離滅裂で、独りよがりな散文になりますが、お暇があったら、どうぞおつきあいください。



自分の気持ちを整理するために、何かを描いたり書いたりすることは、今迄もあったけれど、こんなに何からどうやってかいたらいいのかわからないままかき始めるのは、初めてかも…



私が書くのと描くのが好きなのは、間違いなく父の影響なわけで。
漫画2 



そんな父が亡くなりました。
大好きだった父。
大好きなくせに、全然甘えることができないまま、逝ってしまいました…
197110




妹から父が危篤という連絡を受けたのが、フランス時間の5月3日の日曜日、昼過ぎ。
スマホとLINEというツールがある時代で良かった。
でなければ、妹はもちろん、毎日電話をかけていた母さえ、フランスの私の電話番号を控えていなかったはず。



時は、コロナ期。
フランス発日本行きの便は、月曜日と木曜日の週2便。
しかもパリ発のみ。
パリへ移動するTGVは日に2本。空港行きTGVは運休。
今日パリ入りしなければ、明日月曜日の出発便に間に合わない。
そして、今日唯一にして最後のTGVの出発まで1時間半しかない。
無事明日の日本行きに乗れたとしても、到着した空港では、PCR検査を受け、原則その結果を空港の係留地にて待たなければならない。
もっと厳格に言えば、結果が陰性であっても、公共交通に乗っての移動はできず、2週間の自主隔離をしていなくてはならず、病床の父を訪ねるなどもってのほかだ。


妹のスマホのLINEビデオに映る父に呼びかけると、確かに私の声に反応していた。


迷っている時間はなかった。
と言うか、とっくに頭ではなく感情が結論を出していた。
1時間半後に出発のTGVと、明日のパリ発日本行きの便と、今夜のパリ宿泊先を同時予約しなくてはならない。
「今帰らなければ一生後悔するから」
と、ひとりで緊急帰国すると、夫を説得し、子供たちに説明し、上司に伝え、旅の予約を確定し、ボストンバッグにパスポートと下着と服を数枚つっこんだ。
公な機関に勤める人間としては、完全にアウトだ。


フランスに生活の拠点を置いた頃、自分は親の死目には会えないだろうと、茫漠と思った。
冷静にそんな自分を客観視するのだろうと、うそぶいていたくせに、この取り乱しようはなんだろう。


妹から連絡を受けた24時間後。
がらがらのエールフランス日本行きは、ドイツ上空あたりを通過していた。
横10席のシートに私ともうひとり。前のシートに人影は見えない。
低く見積もっても50本以上のジェット機に乗っているが、こんなに搭乗客がいない長距離便は初めてのことだった。
これでは燃料費すら元が取れず、航空会社は大赤字だと、心配になった。
空席を利用して横になるものの、まんじりともしなかった。


空港に到着後、検疫官に先導され、PCR検査を受けた。
やたら長い綿棒のような棒が、頭の裏側あたりを内側からつつく感触。
鼻腔のトンネルはこんなに長いものかと感心した。痛みはさほどなかった。
検査後、検査官に事情を説明すると、結果を待たずに空港を出ることを許される。
ただし、私が公共交通を使って帰らないように、迎えに来てくれた友人と合流できるまで、検査官の女性が同行していたけれど。
3月中旬の国境封鎖直前にヨーロッパや北米から緊急帰国し、公共交通で自宅へ帰った人たちの一部が、日本に感染を拡げてしまったわけだから、それは適切な対応だとは思う。


5日朝10時半過ぎ、父の病室に到着。
その6時間後、姉が北米から到着。
世界中の飛行機がほとんど空港に待機しているこの時期に、海外に暮らす娘たちが、危篤の連絡を受けて48時間以内に駆けつけることができたことは、奇跡だったと思う。
もう父は、話をすることはできなかったけれど、私たちが来るのを待っていてくれた。
それから、ほぼ1日、最期の時間を家族で過ごした後、6日夕方7時過ぎに、父は逝ってしまった。
つい今まで息が荒く、苦しそうに眉間に皺を寄せていたのに、とても柔和な顔だった。
「痛いだけが人生だ」
ここ数年は、そう自嘲するよう呟いていた父が、ようやく痛みから解放された瞬間だった。


実は母は、この1か月間、コロナの院内感染防止のため、父に面会することは叶わず、相部屋だからと電話をすることもできずにいた。
それが父の死期を早めたということは、否定できないと思う。

コロナじゃなかったら---そう思わずにはいられない。

それでも。
父が危篤状態となった時点で、私たち家族を呼び寄せ、特例的に貴賓室のような個室に父を移動させ、家族全員で父と過ごせる時間を設けてくれた病院と、体中が癌に侵された父の痛みを和らげる為に夜中も2時間おきに父の体勢を変えたり、献身的なケアを続けてくれた看護師さんたちには、心から感謝したい。

それに、私の勝手な緊急帰国の決断を認めて、送り出してくれたフランスの家族と、上司。

そして、急なお願いだったのにも関わらず、二つ返事で、空港まで迎えに来て、マッハで父の元に連れて行ってくれ、通夜にも駆けつけてくれた友人にも。



ちなみに、亡くなる日の朝の父のPCR検査の結果は陰性。
父が亡くなった翌日受け取った私のPCR検査結果も陰性。
その半日後に受け取った姉のPCR検査結果も陰性。



結果オーライだけど、もし、これがひとつでも陽性だったら、また違う結末になっていたかもしれないと思うと、恐ろしくなる。



父について書きたかったのに、ほとんど書かないまま、こんなに長文になってしまった。

父については、また後日。
1976753
スポンサーサイト




人気ブログランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

minette2

Author:minette2
にーとまーの5歳違いの日仏男児との日常を綴っています。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR