外出禁止令解除初めての週末

5月11日に外出禁止令が解け、外出許可証を持たずとも外に出ることができるようになって初めての週末。
おまけに、爽やかな五月晴れ。




2ヶ月の軟禁生活が強いられてきたフランス。
これで、外に出たくならない人がいたら、その人は、きっと、生粋のヒッキー(宇多田ヒカルではありません)。
Born to be Hikikomori.




我が家の2ヶ月ぶりの外出先は、家族で一番外に出ること、思いっきり走ることに飢えていた、長男のチョイス。
彼がBeforeコロナには、週に3日、ホームでの試合の時は週4日通っていた、ラグビーの練習場。





子供達をマスクの日常に慣れてもらうため、あえて、公共交通で移動してみました。





地下鉄入口には、休日だというのに、マスク着用していない乗客に、マスクを配る職員さんが二人立っていました。
ホームの床には、社会的距離の取り方案内が描かれて、カラフルに。
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「水色の線で乗客は降客を待ってね」
とか、日本人なら、
そんなん、色付きで説明されなくても、とっくにやっとるわ!
的な案内ですな。





公共の場でのマスク着用が義務付けられ、今やマスクをしていない人が異様に見えるようになってしまったフランスの日常。
初めて見る、ダンナと子供たちのマスク姿…
本当に異世界です。





目的地最寄り駅に到着し、地下から階段を上って地上にあがると、そこは自宅から半径1km以上離れた2ヶ月ぶりの娑婆!! 
たったの5駅だけど…
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おもむろにマスクを外して駆け出す子供達の後ろ姿は、小躍りしてるようにも見えました。
そりゃ、そうだよね。
外出制限中も、週半分は出勤し、なんてったって、飛行機に乗って日本に里帰りして、病院やら葬儀やら役所やら、コロナだろうがなかろうが同じであろう環境に身を置いていた私とは、感慨も違うはず。





練習場入口まで続く道両脇にあるオープン駐車場は、午前中だったのにもうマイカーでいっぱい。
でも、みんなお目当ては、練習場横にある、市民公園だったみたい。
練習場には、大小6つのグラウンドと、テニスコートがあるのだけれど、コートはプレーする家族連れで埋まっていたものの、グラウンドは、いずれも、鍵は空いているのに、誰もおらず。
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「(子供から大人までのラグビー 愛好家仲間で)誰かひとりぐらい、遊びに来ていてもいいのにな」
と、ダンナ。
全くそうだよねぇ😢
みんな山とか川とか、自然がたくさんあるところに行っちゃったのかもね。





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まぁ、蜜になることなく、伸び伸びと遊んだり、走ったり、芝生の上でピクニックしたり、風に吹かれながら寝転んだりすることができました。





練習場の片隅には、コクリコ(雛罌粟)も咲いていました。
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義母の暮らす田舎の家の周りの麦畑脇にも、今頃コクリコが沢山咲いているのだろうな…
外出制限が解けても、100km以上のプライベートの外出は禁止されているので、まだ義母の家には遊びに行けません。





コクリコと言えば、思い出すのは、与謝野晶子のこの歌。

ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す
    君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟






5月の緑の麦畑に、補色である朱色のコクリコが浮かぶ温かい景色は、モネやゴッホ等、多くの画家が描いているけれど、夫の与謝野鉄幹に合流するため、シベリア鉄道でフランスに渡った晶子は、鉄幹に会ったのち、二人でフランスやイギリスを周遊したそう。きっと車窓から流れていくフランスの目に焼きつくような緋色の雛罌粟の咲く丘を、鉄幹と二人で眺めながら、再会の喜びを歌ったのではないでしょうか。
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Claude Monet - Les Coquelicots à Argenteuil




与謝野晶子と言えば、もう一つ別の、タイムリーなエピソードが。
スペイン風邪(とは言え、スペインが起源ではないけれど)の流行時、子供一人が学校で感染してしまったことにより、家族が皆感染してしまったという与謝野家。
「感冒の床から」と題し、ある新聞に寄稿したそうですが、以下はその文からの抜粋です。




 
…傳染性の急劇な風邪の害は米騒動の一時的局部的の害とは異(ちが)ひ、直(たゞ)ちに大多数の人間の健康と勞働力とを奪ふものです。

政府はなぜ逸(いち)早くこの危險を防止する爲に、大呉服店、學校、與行物、大工場、大展覧會等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかつたのでせうか。
 
そのくせ警視廳(庁)の衛生係は新聞を介して、成るべく此際多人數の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、學校醫(医)もまた同様の事を子供達に注意して居るのです。

 
社會的施設に統一と徹底との缼(か)けて居る爲に、國民はどんなに多くの避らるべき、禍(わざはひ)を避けずに居るか知れません。…

 (与謝野晶子「感冒の床から」『横濱貿易新聞』1918年11月10日)
 (与謝野晶子『与謝野晶子評論著作集 第十八巻』龍溪書舎 、2002年)






警察は「密な場所に集まるんじゃないぞ」と市民に警告するくせに、政府は、感染症対策を市民一人ひとりの良識ある行動に頼るのみで、デパートや学校、劇場、会社等の休業措置を直ちに設ける等の国策を、何故さっさと取らなかったのか、と批判しているわけです。





100年前も今も、政府の飴鞭なしに、市民レベルの行動で、厄疫を乗り越えていく模範を世界に示すことができる日本を、心から誇りに思います。
日本人は本当にすごい。





一方で、ちょうど100年前の日本は、政治家でも、専門家でもない、女性の歌詠人が、こういった政治批判をすることが、許された時代だったのですね。
まぁ、大正デモクラシーだし、きみ死にたもうこのなかれ、と、「弟よ、お国のためになんか、死ぬんじゃないよ」と忠君愛国をいち早く危ういものとして本音で批判していた晶子さんですから、特別枠だったのかな。





にしても、今ならば、「政治的な発言をすると、仕事を干されるよ」と、マネージャーから諭されたり、「歌うたいに政治の何がわかる」と右寄りの市民からバッシングを受けるところじゃないかな。





スペイン風邪が流行った時は、第一次世界大戦中の戦争景気も手伝ってか、不況にはならなかったようだけど、その10年後に訪れる世界的大恐慌と共に、日本にも相次ぐ企業倒産やデフレや飢饉など、本格的な不況が訪れて、
不況脱却には、力づくで中国や韓国を始めとするアジアでの権益取り戻して、強い日本を再生するしかないんじゃね?
と国家主義が台頭して、個人よりも国家に重きを置いて、国策である「強い日本再生計画」を疑問視する声や風潮を「危険」として弾圧するようになって、太平洋戦争に突入して、ぼろ負けしちゃった、っていう歴史も、この100年にはあります。
弾圧されて投獄されたり、戦争の犠牲になっていったのは、国家主義政策を推し進めていたお偉いおじさん方じゃなくて、私のお爺さんだったり、あなたの先祖だったり、一般ピーポーなんですけどね。




繰り返して欲しくない歴史もあります。
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