「この夏、日本に帰れますか?」

今日の日記は、フランスに暮らす方限定の情報になります。
公私共に、ものすごーく、この質問を受けるので、ブログに書くことにしました。



Q1. 「この夏、日本に帰れますか?」



結論から言うと、
帰れます。




はっきり言って、帰るだけだったら、有効な航空券と日本国パスポートを持った日本人なら、この春だって、可能でした。




ただし、日本国籍者に限ります。
日本人の配偶者だったり、有効な再入国許可証を持ってるフランス人でも、現在は、たとえ90日以内の短期滞在であっても、ビザを取得しなくては、日本には入国できません。




日本の有効なパスポートがない日仏子は?
最悪、日本国籍を証明できる公式文書があり、日本人親と一緒であれば、なんとか入国はできるようです。
が!
日本人として日本に入国する場合、日本国旅券を所持していることが原則です。
6ヶ月以内に発行された戸籍があれば、日本国旅券は申請から1週間でできますので、出発前にパスポートを用意することをお勧めします。





Q2.日本到着後、なにか検査、隔離措置はあるのか。

A. 6月いっぱいは、全ての入国者に対し、PCR検査が義務づけられています。
到着後、入国審査の前に、検疫所にて、PCR検査を受け、結果が出るまで原則、検疫所の指定する場所で待機しなくてはなりません。
検査自体は待ち時間を含まなければ数分とかからず終わりますが、結果が出るまでには半日から2日程かかるようです。


一方、到着後の隔離については、厳密に国指定の施設があるわけではないですが、到着の翌日から14日間、自宅などに自主的に待機し、外出しないように、要請されています。





Q3.日本到着後、公共交通は使えるのか?

A. 少なくとも、6月中は、到着後14日間は使用できません。

コロナ感染地域に指定されているに指定されている国(フランス含む)に日本入国日の過去14日以内に滞在していた方は全員、日本到着から14日間は公共交通が利用できません。これは、入国時に受けたPCR検査の結果が、陰性であった方にも適応されます。
電車、バスはもちろん、国内乗り換え便の利用もできません。
無論、6月中は、JRパスも使えません。

現在のこの措置は、今月いっぱいまでの規定ですが、延長される可能性もあるそうです。
詳しくは、厚労省のサイト「新型コロナウイルス感染症 水際対策の抜本的強化に関するQ&A」をご確認下さい。





Q4. そうは言っても、公共交通使うかどうか、2週間ちゃんと自主待機して外出してないかどうか、監視されているわけでもないでしょう?

A. 少なくとも、到着時は、空港の係員が、入国者が申告書に記載した、移動手段の場所(レンタカー乗り場や、迎えの人とのミーティングポイント)まで、同行してきますので、こっそり公共交通に乗るという行為は、できないと考えておいた方が良いでしょう。

また、到着時のPCR検査を受ける前には、3種類ぐらいの書類を記入して、提出しなくてはならないのですが、これには、待機場所の住所等連絡先、自身のメールアドレス、携帯電話番号(あれば)、そしてLINEの連絡先の記載が求められますので、到着後14日間は、2、3日おきに自分の提出した連絡先に、健康チェックの電話やSMS等が届きます。

ちなみに、日本に到着時に書いた書類、もらった書類、フランスへの出発時に用意させられた書類は、こんな感じ。
①問診票
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②待機要請書
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③空港から待機場所までの移動に関する申告書。
これを書かされることにより、ずるして公共交通に乗ろうとすることが、困難になります。
ちなみに、私は、友人が空港まで迎えに来てくれることになっていたので、正々堂々と記入できました。
(みずも、本当にありがとうね❤️)
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④その他、厚労省LINE登録案内、検疫済み証明、フランス側への申告書、フランス国指定国際移動証明書
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繰り返しますが、この措置は、とりあえず今月いっぱいまで施行されることになっていますが、7月以降、解かれるのかどうかは、現時点では不明です。





そして、ここからは、日本滞在後、フランスに帰る予定の方向けQA。

Q5. 有効なフランス滞在許可証や長期滞在VISAがないのですが、フランスに帰れますか?

残念ながら帰れません。非EU国からの日本人の入境は、まだ制限されています。
日本から出発する前のチェックイン時に、フランスの有効な滞在許可証の提示が求められますので、有効なチケットを持っていたとしても、フランス行きの飛行機に搭乗拒否させられる可能性は、高いです。

ただし。
駐日フランス大使館のサイトに、上の措置の例外者として、「フランス人の配偶者」という項目がありました!

有効な滞在許可証が切れちゃってるフランス人と結婚してる皆さん。フランス家族手帳とかあったら、ひょっとしたら、フランスに帰れるかもよ。でも、確実なことは、駐日フランス大使館に聞いてみて下さいね。





Q6. フランス入国時に、PCR検査や、係留義務はありますか?

まーったくないです。
外出規制がバリバリに敷かれていた5月中旬ですら、PCR検査もなかったですし、公共交通にも、普通に乗れました。
係留は自己判断に任されています。




Q7. フランス入国後、コロナっぽい症状が出たら、どうしましょう?


かかりつけ医に相談してください。
そう、もはや、コロナ専用連絡先もなくなりました。
ただし、呼吸困難等の症状が出たら、救急15番に連絡して下さい。(15番は英語可です。)





というわけで、日本はガッチガチのコロナ水際(?)対策が取られているのに対し、ゆ〜るゆるのフランス。

大統領は、昨日、長々と、対コロナ・第一章勝利宣言演説をしていましたが、いったいどのレベルなら勝ったって言えるんですかね。
3月中旬から、ほぼ、学校閉鎖状態で、ほぼほぼ親に教育丸投げされてた子供達の学力低下は、かなり深刻だと思いますがね…。みんなそろって落ちるんだから良いじゃん、ってよく聞くんですけど、そういう問題なのかな。
これを機に、全教師が、責任持ってビデオ授業ができるように、教育省が徹底指導してほしい。









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6月に入った2020年フランスの日常

人との密は半径1m以上の距離を保たなくてはいけなかった2020年5月。
なのに、自分の人生的には、やたら密度が濃かった2020年5月の31日間が終わり、
2020年6月。
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マーガレットが、今、満開。




フランスで6月と言えば、
1年で一番日照時間が長く、
一番晴れ日が多く、
一足早く海水浴が楽しめるほど気温も高いのに暑すぎず、
グランバカンス開始までカウントダウンという、
子供達じゃなくても心躍ってしまう月。





おまけに今年は、史上最強レベルで解き放たれた6月のはずなのに、
なんなの、この、ワクワク感のなさは!
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コロナビールだって、売り場に帰ってきたのに!




今日の雨のせいなのか。
いや、今月に入ってどっぷり雨模様なのは今日が初めてのはずなのに、ここ最近ずっとこんな感じだ。





このやるせなさは何だろう?





外出規制が解かれたとは言え、
なにもかも中途半端な解かれ方をしていて、
物理的にも自分の気持ち的にも解き放たれた感は、0。





「外出制限は解くけど、引き続き、気を引き締めて過ごしてね。」
と言われるものの。
あんなに世界を震撼させていたウイルスは、特効薬は開発されていないけど、勝手にフェイドアウトしてってくれたってこと?
フランスだけでも、3万人近い死者が出たはずなのに、身近には感染したという知人さえいない。





しかし、
仕事は相変わらずテレワーク半分。
子供達の学校に至っては、一クラスの生徒数が15人を超えてはいけないため、週1、2日の登校のみで、他の日は遠隔授業が続いている。
にーのラグビーの練習は、早くて来月いっぴから再開。でも、タックルを含めたコンタクトのある練習ができるようになるまでには、まだまだ解除されなくちゃいけないボタンがいくつかあるらしい。
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この、アマチュアラグビーの解除ボタンについては、またいつかの日記で詳しく。

まーの柔道は9月から再開されるのかどうかもわからない。




レストランもショッピングセンターも営業を再開したけれど、この外出規制中にバイト職を失ったという声は数えきれないほど聞く。
どれだけの法に守られていない人達が、苦境に立たされているのか。
破産申告したという大手の服飾品チェーン店がニュースになっていたけど、小売店を含めると、どれくらいの店舗が苦渋の決断を強いられたのか。
映画館や劇場も再来週から再開するらしいけど、みんな生き延びれたのか。




そういう逆境にある人のことを考えたら、職も失わず、子供達も自暴自棄になることなく、健康で、今日の6月の雨の日に濡れることも知らずに過ごせる自分は、多分、恵まれているのだろうし、そういう私達が、以前のような消費活動を再開しない限り、現システムでの経済活性化なんてあり得ないだろう。

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カラっと晴天の日だって、雨混じりの朝だって、子供達は、社会的距離を保ちながら、校庭に集合する。





だけど、今年の夏休みの行き先をああでもないこうでもないと、ネットで調べたり、家族で楽しく話したりできない自分がいる。





あれだけ、4月には深刻な医療崩壊がニュースで叫ばれていたニューヨークをはじめ、アメリカの多くの大都市では今、人種差別撤廃を求め、たくさんの人が、静かに、あるいは大声で、デモに参加している。





このコロナ禍を契機に、なにかが変わりつつあるのは、アメリカだけだろうか。

「コレマデノ ワタシタチ ノ イキカタ デ イイノ ?」

そんな疑問符を抱えているひとは、少なくないはずだ。





マスクは息苦しい。
こんなぺらぺらの不織布で、いったいどんなウイルスから身を守れるというのか。
「私は厄介な病気、撒き散らすようなこと、しませんよ」
という、善良な市民的自己PRにしかなっていないような気がする。





マスクの下の唇がNOと動いたとしても、相手には自分の目しか見えない。
曖昧にぼかしてきた、自分の本当の考えを、しっかり言葉にするということが、これまで以上に大切になるかもしれない。




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フランス、マスク事情(2020.MAY.25)

気がつけば5月も最終週。
来週から6月に突入。
6月と言えば、もう、夏!!




日照時間もすっかり伸びて、夕方8時になっても、こんなに明るい。
25mai




比較までに、フランスでコロナ感染拡大防止のために外出制限措置が布かれて間もない、3月後半あたりの夕方8時は、こんな感じ。

真っ暗で、なにがなにやら。
夕方8時と言うより、夜8時、と言った方がしっくりくるかも。
この頃は、みんな、医療従事者に感謝を込めて、拍手していたんだよね…
フランスでよく耳にする、「Solidaliteソリダリテ連帯」っていうのを、初めて体感した。

のに、外出制限措置が解除された途端に、誰も拍手しなくなっちゃったらしい。
日本から戻ったばかりの週末の夜8時は、もう、拍手もフライパンを叩く音も聞こえなかった。
おいおい、医療従事者の闘いは、まだ続いてるんじゃないの?
と、今夜もひとり8時に小さくパチパチする自分。
家族も、もう一緒にやってくれないけど。
ぶーぶー。まぁ、いいんですけどね。
気持ちの問題。





閑話休題。
夕方8時じゃなくて夜8時だった頃、フランス政府は、
「(コロナ感染予防に)マスクは不要です!お医者さんで処方された人だけ、薬局で購入して着用してればいいんです!」
と豪語していた。





そうは言っても…
と、自分が無症状感染者かもしれないと思い、自主的に外出時はハンカチ簡易マスクをするようになったものの、通勤路でジョギング中のねぇちゃんからすれ違い様に、
「貴女が(フランスに)ウイルス持ち込んだの?」
なんてブラックジョークを吐かれたこともあった。




それがどうだろう。
あれから2ヶ月ちょいしか経ってないのに、この、超アバウト先進国フランスで、スーパーや郵便局など、人と接触する屋内でマスクを着用していない人は白い目で見られるようになり、公共交通機関ではマスク装着が義務付けられた。





知り合いと会っても、ビズ(頬への挨拶のキス)どころか、握手さえしない。
しないことが礼儀になった。





日本であれ、フランスであれ、これまでの自分の人生で、こんなに短いスパンで、こんなに社会の常識や価値観が一変してしまったことって、なかったよな…





まぁ、とにもかくにも、2020年5月25日付のフランスマスク事情





公共の場では、着用が推奨されています。
公共交通機関では、義務。だけど、罰則はなし。




我が家から見下ろせる校庭をチェックする限りでは、どうやら、小学校では子供達にマスク着用を義務付けてはいない模様。
朝、8時半。ソーシャルディスタンスを保たせながら、校庭で児童の点呼をしているらしい。
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でも、先生たち大人は、着用している様子。
(注: フランスでは、5月11日から、保育園から中学生まで、段階的に学校が再開しているけれど、我が家の二人は一番再開のタイミングが遅い組で、6月明けの再開予定。しかも、親が希望しなければ、登校させる義務はなし。)





中学生はどうやら校舎内では着用しなきゃいけないらしいけど、まだ具体的な学校開始の説明が発表されていないので、真相はわからず。





ダンナも私も、職場でのマスク着用が義務付けられました。
(ちなみに、ダンナも私も、週半分くらいまだテレワーク中)




にーが通院再開した(けど、「もうほぼ治ってるから大丈夫!」と、再開後初回の診療で治療終了)整骨院では、患者はマスク着用義務化。
先生は着けていませんでした。




と、まちまちなマスク事情。
マスク初心者🔰のフランス。
どうしたら良いものかと、ダッチロールを続けている感じ。




とりあえず我が家には、自主的に買ったもの作ったものが数枚と、頂き物の不織布マスクが大半で、こんなにマスクストックがあります。
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使い捨てちゃうのはあまりにも環境によくないだろうということで、3、4回は洗濯して再利用しているので、全然減っていかず。




にしても、これ…
4月あたりはまだハンカチマスクだって、へっちゃらだったけど、
日中の気温が20度以上になってくると、一日中着けてるの、結構、キツいですよね。




自分の吐く生暖かい息がマスク内に篭るのが苦しくて、気持ち悪くて、無意識にマスク取っちゃう自分がいます。
夏季にクーラーがない屋内で、一日中マスク着用して過ごすなんて、ぜーーーーーったい無理!!
もう、自分、絶対感染してない自信あるから、着用勘弁してっ!!
って言いたくなる。
ユニクロはきっとエアリズムマスク売り出すはず。




本格的な夏を迎える頃には果たして、マスク着用推奨令は、解かれているのだろうか…
まぁ、この2ヶ月の変わりようからすれば、芋洗い状態で海水浴を楽しむフランス人で溢れるビーチが7月後半あたりのニュースになってても、驚きはしないけれど…




余談になるけど、フランスのマスク着用義務マークがバラエティに富んでいて、興味深いので、いくつかご紹介。
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横顔もなかなか精悍…

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これが一番よく見かけるかな?

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横顔、ハゲバージョン

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カップル、いや、母と息子? 女性のが自己主張強そう。だけど、かわゆい。

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こちらは家族。でも、目鼻がないし、寄り添い方が、なんだか不安そう…

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最後。万人受けしそうなキャラ。




現実はどうあれ、やっぱり、不安そう、冷たそうなやつよりは、明るい感じのマークの方が、好感度高そう、かな?


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外出禁止令解除初めての週末

5月11日に外出禁止令が解け、外出許可証を持たずとも外に出ることができるようになって初めての週末。
おまけに、爽やかな五月晴れ。




2ヶ月の軟禁生活が強いられてきたフランス。
これで、外に出たくならない人がいたら、その人は、きっと、生粋のヒッキー(宇多田ヒカルではありません)。
Born to be Hikikomori.




我が家の2ヶ月ぶりの外出先は、家族で一番外に出ること、思いっきり走ることに飢えていた、長男のチョイス。
彼がBeforeコロナには、週に3日、ホームでの試合の時は週4日通っていた、ラグビーの練習場。





子供達をマスクの日常に慣れてもらうため、あえて、公共交通で移動してみました。





地下鉄入口には、休日だというのに、マスク着用していない乗客に、マスクを配る職員さんが二人立っていました。
ホームの床には、社会的距離の取り方案内が描かれて、カラフルに。
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「水色の線で乗客は降客を待ってね」
とか、日本人なら、
そんなん、色付きで説明されなくても、とっくにやっとるわ!
的な案内ですな。





公共の場でのマスク着用が義務付けられ、今やマスクをしていない人が異様に見えるようになってしまったフランスの日常。
初めて見る、ダンナと子供たちのマスク姿…
本当に異世界です。





目的地最寄り駅に到着し、地下から階段を上って地上にあがると、そこは自宅から半径1km以上離れた2ヶ月ぶりの娑婆!! 
たったの5駅だけど…
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おもむろにマスクを外して駆け出す子供達の後ろ姿は、小躍りしてるようにも見えました。
そりゃ、そうだよね。
外出制限中も、週半分は出勤し、なんてったって、飛行機に乗って日本に里帰りして、病院やら葬儀やら役所やら、コロナだろうがなかろうが同じであろう環境に身を置いていた私とは、感慨も違うはず。





練習場入口まで続く道両脇にあるオープン駐車場は、午前中だったのにもうマイカーでいっぱい。
でも、みんなお目当ては、練習場横にある、市民公園だったみたい。
練習場には、大小6つのグラウンドと、テニスコートがあるのだけれど、コートはプレーする家族連れで埋まっていたものの、グラウンドは、いずれも、鍵は空いているのに、誰もおらず。
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「(子供から大人までのラグビー 愛好家仲間で)誰かひとりぐらい、遊びに来ていてもいいのにな」
と、ダンナ。
全くそうだよねぇ😢
みんな山とか川とか、自然がたくさんあるところに行っちゃったのかもね。





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まぁ、蜜になることなく、伸び伸びと遊んだり、走ったり、芝生の上でピクニックしたり、風に吹かれながら寝転んだりすることができました。





練習場の片隅には、コクリコ(雛罌粟)も咲いていました。
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義母の暮らす田舎の家の周りの麦畑脇にも、今頃コクリコが沢山咲いているのだろうな…
外出制限が解けても、100km以上のプライベートの外出は禁止されているので、まだ義母の家には遊びに行けません。





コクリコと言えば、思い出すのは、与謝野晶子のこの歌。

ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す
    君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟






5月の緑の麦畑に、補色である朱色のコクリコが浮かぶ温かい景色は、モネやゴッホ等、多くの画家が描いているけれど、夫の与謝野鉄幹に合流するため、シベリア鉄道でフランスに渡った晶子は、鉄幹に会ったのち、二人でフランスやイギリスを周遊したそう。きっと車窓から流れていくフランスの目に焼きつくような緋色の雛罌粟の咲く丘を、鉄幹と二人で眺めながら、再会の喜びを歌ったのではないでしょうか。
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Claude Monet - Les Coquelicots à Argenteuil




与謝野晶子と言えば、もう一つ別の、タイムリーなエピソードが。
スペイン風邪(とは言え、スペインが起源ではないけれど)の流行時、子供一人が学校で感染してしまったことにより、家族が皆感染してしまったという与謝野家。
「感冒の床から」と題し、ある新聞に寄稿したそうですが、以下はその文からの抜粋です。




 
…傳染性の急劇な風邪の害は米騒動の一時的局部的の害とは異(ちが)ひ、直(たゞ)ちに大多数の人間の健康と勞働力とを奪ふものです。

政府はなぜ逸(いち)早くこの危險を防止する爲に、大呉服店、學校、與行物、大工場、大展覧會等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかつたのでせうか。
 
そのくせ警視廳(庁)の衛生係は新聞を介して、成るべく此際多人數の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、學校醫(医)もまた同様の事を子供達に注意して居るのです。

 
社會的施設に統一と徹底との缼(か)けて居る爲に、國民はどんなに多くの避らるべき、禍(わざはひ)を避けずに居るか知れません。…

 (与謝野晶子「感冒の床から」『横濱貿易新聞』1918年11月10日)
 (与謝野晶子『与謝野晶子評論著作集 第十八巻』龍溪書舎 、2002年)






警察は「密な場所に集まるんじゃないぞ」と市民に警告するくせに、政府は、感染症対策を市民一人ひとりの良識ある行動に頼るのみで、デパートや学校、劇場、会社等の休業措置を直ちに設ける等の国策を、何故さっさと取らなかったのか、と批判しているわけです。





100年前も今も、政府の飴鞭なしに、市民レベルの行動で、厄疫を乗り越えていく模範を世界に示すことができる日本を、心から誇りに思います。
日本人は本当にすごい。





一方で、ちょうど100年前の日本は、政治家でも、専門家でもない、女性の歌詠人が、こういった政治批判をすることが、許された時代だったのですね。
まぁ、大正デモクラシーだし、きみ死にたもうこのなかれ、と、「弟よ、お国のためになんか、死ぬんじゃないよ」と忠君愛国をいち早く危ういものとして本音で批判していた晶子さんですから、特別枠だったのかな。





にしても、今ならば、「政治的な発言をすると、仕事を干されるよ」と、マネージャーから諭されたり、「歌うたいに政治の何がわかる」と右寄りの市民からバッシングを受けるところじゃないかな。





スペイン風邪が流行った時は、第一次世界大戦中の戦争景気も手伝ってか、不況にはならなかったようだけど、その10年後に訪れる世界的大恐慌と共に、日本にも相次ぐ企業倒産やデフレや飢饉など、本格的な不況が訪れて、
不況脱却には、力づくで中国や韓国を始めとするアジアでの権益取り戻して、強い日本を再生するしかないんじゃね?
と国家主義が台頭して、個人よりも国家に重きを置いて、国策である「強い日本再生計画」を疑問視する声や風潮を「危険」として弾圧するようになって、太平洋戦争に突入して、ぼろ負けしちゃった、っていう歴史も、この100年にはあります。
弾圧されて投獄されたり、戦争の犠牲になっていったのは、国家主義政策を推し進めていたお偉いおじさん方じゃなくて、私のお爺さんだったり、あなたの先祖だったり、一般ピーポーなんですけどね。




繰り返して欲しくない歴史もあります。


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どちらかと言えば、自分は父親っ子だったと思う。




と言うか、私たち姉妹が大学に入るぐらいまでは父は忙しく、留守がちで、子供の躾や教育は完全に母任せだったから、ヒール役は全部母が引き受けていたわけで、父がいいとこ取りしていたような格好になっていたからかもしれない。




出版社に勤めていた父は、平日はいつも私達が寝静まってから帰宅し、朝は私達が学校に行く前に起きてくることはめったになかった。週末は毎週のように日帰りゴルフに出ていたし、父と一緒に時間を過ごすのは、休日の夜と、夏休みの家族旅行ぐらいだった気がする。




それでも、当時、同級生の女の子の誰もが読んでいたような人気漫画月刊誌の編集に携わっていた父が、毎月発売日よりちょっと前に持ち帰ってくる雑誌や付録を楽しみにしていたし、その雑誌の中に、父の名前が小さく登場していたことを、密かに誇らしく思っていた。

元旦には人気漫画のキャラクターのオリジナル原画入の年賀状が何枚も届き、人気漫画家が自宅に遊びに来ることもあった。

自然、私たち姉妹は漫画のキャラクターを真似たお絵かきが共通の趣味となっていったわけだが、小学校の時に書かされた「将来の夢」という作文で、はっきりと「マンガ家になること」と書いたのは、私だけだった。




私のその幼い夢は、大学1年ぐらいまで続くことになる。




結構、真剣に、漫画を描いていた。
投稿は高校に入ってから始めたが、父や父の知り合いに「編集者の娘の漫画」と色眼鏡で見られるのが嫌で、父の手掛けていた雑誌のライバル誌に敢えて投稿をしていた。
3ヶ月に1本程度の投稿をして、数本目からは、小さな賞も貰えるようになった。
ずっと絵を描いていたいからと、美大に進もうと思い始めた頃、漫画のペン入れをしている私の部屋に父が入ってきて、床に散らばっている私の原稿を一枚拾い上げ一瞥して、こう言った。




「お前には才能がない」




絵が動いてない。まずそんなことを言われたと思う。
そして、万一デビューできたとしても、漫画家という世界は水物で、一度もヒット作が描けずに消えていく人がほとんど、昼夜も逆転で、普通の生活を送る人たちとの交流もなくなるだろう、お前にそれが耐えられるのかと。
ましてや、漫画を描いていたいから美大に行くなど、そんな甘ったるい考えは捨てなさい。とりあえず、潰しのきく4年制に進みなさい。その上で、それでも諦めきれないなら大学に行きながら描くのを続けてみるのも良いだろう、と。



何くそ、と思ったけれど、結局、専門の勉強すらしたことがなかった美大進学は早々に諦め、受験勉強の時間より漫画を描く時間が欲しかったので、残り物の高校の推薦枠の中から中堅の私大の仏文科を拾った。




何故だか、当時の自分は、高校生のうちに、デビューすることを目標にしていて、大学に入ってなお、デビューを目指して漫画を描き続けている自分が、格好が悪いような気がしていた。
やがて、ペンを置いた。
同時期にプロを目指して投稿していた漫画家には、セーラムーンの武内直子や、逃げ恥の海野つなみなんかがいる。
二人とも、某誌の「もう一歩賞」的な入賞者の、常連だった。
継続こそが最大の才能と知るのは、ずいぶん後になってからだ。




幼い長男を連れて、実家に帰省していたある時、父が、何かの拍子に言った。
「自分の好きなことで食ってける奴が、最強だよな」




私には、漫画家になるの、猛反対してたよね!!
と、その時は父に突っ込みたくなったけれど、今から思えば、父はひょっとしたら、本当は私に、描くことを続けて欲しかったのかもしれない。
そして、自分の子供が将来の夢を語る年になり、父が高校時代の自分にあぁ言った気持ちが、わかるようにもなった。




父自身、学生時代に、児童文学研究に傾倒し、漫画の原作書きのバイトから、編集の仕事に携わっていったらしい。
30代で建てた家には書斎を設けたぐらいだから、いずれまた書くつもりは、あったに違いない。
しかし、編集者としての経験を積むに連れ、自身の文章の限界を知ってしまったのかもしれない。
私が、漫画やイラストを描くのをやめてから、長い間、時々描こうと発起するも、納得するものが描けないのが嫌で、絵を完成させることができなかったように。




父にまた文を書いて欲しくて、定年祝いにモンブランの万年筆をプレゼントしたが、結局その万年筆も、どこに放ってしまったのやら。
父は私達娘に、遺言すら書き残さなかった。




そんな父への嫌がらせ的に、しばらくイラストを描き続けようと思う。
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にーとまーの5歳違いの日仏男児との日常を綴っています。

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